秩序(Order) 2025.7.21

「この世界は秩序で成り立っている」というテーマについて考察します。


1. 人類の進化と数理的思考の萌芽

約700万年から500万年前という気の遠くなるような時間をかけて、人類は二足歩行を獲得しました。これにより両手が自由になり、知恵と道具を駆使する中で大脳皮質が発達し、より合理的な、すなわち数理的思考の基礎となる認知能力が可能になったと考えられています。二足歩行の起源と進化については、現在もさまざまな研究や仮説が提唱されており、その謎は尽きません。


2. 数理的思考の特性と「気づき」

数理的な思考や行動とは、外界からの情報を受け取り、論理的かつ合理的に判断し、行動するプロセスを指します。人間が持つ知的好奇心と、物事を改善しようとする絶え間ない努力は、新たな理解や洞察、すなわち人間特有の「気づき」へと繋がると言えるでしょう。


脳科学者のウォルター・フリーマンは、膨大な数の脳細胞がどのように機能し、複雑な認知活動を生み出すのか、脳全体のダイナミクスを複雑系理論に基づいて理論化しました。彼の理論は、個々のニューロンや脳の一部が他の部分を一方的にコントロールするのではなく、まるで合唱団のように互いに影響し合うことで自己組織化が生じると説明しています。この自己組織化のプロセスは、脳が新たな情報を統合し、予期せぬ「気づき」や洞察を生み出す源泉となると考えられています。


思考とは、時間と空間の中で、脳が情報を処理し、判断を下すプロセスです。しかし、この数理的な思考には限界があり、「世界の始まり」といった根源的な問いを完全に説明することはできません。例えば、「世界の仕組みは神が創造したのか?」「神は永遠の存在なのか?」といった問いに対し、経験的に検証可能な数理的なアプローチだけでは明確な答えを導き出すことは困難です。これらの問いは、科学の範疇を超えた哲学的な考察を必要とします。


3. 数理的思考の限界と物理的制約

人間は、現在のところ時間と空間の枠組みの中で、因果律に基づいて数理的に判断する認知プロセスに大きく依存して思考しています。突き詰めれば、時間、空間、そして数理といった概念は、人間が世界を理解するために作り出した、あるいは認識する際に用いる枠組みであると解釈することもできるでしょう。


例えば、テレビ画面に映る無限後退の映像は、数理的には永遠に続くと考えられます。しかし、現実の物理世界ではそうなりません。光の回折現象やモニターのわずかな歪み、さらには物質が原子で構成されているという根本的な制約によって、無限に鮮明な像を生成することは不可能です。原子レベルで完璧なモニターを作ることはできないため、ある一点からそれ以上は細分化できない物理的な限界に達し、無限の繰り返しは止まります。これは、私たちの数学的な概念(無限)が、必ずしも現実の物理的な世界にそのまま当てはまるわけではないことを示唆しています。人間の数理的な理解はあくまで概念的な枠組みであり、現実世界には常に物理的な制約が伴うのです。これこそが、数理的思考の限界を示す具体的な例と言えるでしょう。


人間にとって、目に見えるものが真実だと感じるかもしれませんが、広大な宇宙においてはそれが唯一の真実とは限りません。人間の認識は、視覚、伝達、比較、判断の繰り返しであり、始まりと終わりがあります。しかし、始まりも終わりもない世界、すなわち無限や永遠といった概念は、人間の有限な思考では完全に捉えることが困難です。哲学の世界では、古くからプラトンが提唱したイデア(完全な理念)と現実世界(不完全な現象)について、どちらが本質であるかという議論がなされてきました。


4. カオスの中の秩序と新たな理解

近年、新たな理解が進んでいます。一見無秩序に見えるカオスの中にも秩序が存在することが明らかになってきました。数理学者の津田一郎氏は、自己組織化現象の背後に隠された数学的構造を研究しており、対流現象のような複雑な現象の背後には「秩序」というアトラクター(引き込み領域)が存在すると説明しています。そして、カオスとは秩序と無秩序が混然一体となった状態であると解釈しています。


さらに、物理学の基本的な法則であるエネルギー保存の法則が普遍的に成り立つことや、超弦理論などの理論物理学においては多次元空間の存在が示唆されていることも、世界の根底にある秩序を示唆していると考えることもできます。


イデアのような本質論はさておき、現在の科学的知見で言えることは、光が届かない宇宙の果ては、人間の直接的な認識からは「無」の世界と映るかもしれません。しかし、もし多次元空間や別の形態の存在を含めて考えるならば、この世界は始まりも終わりもなく永遠に「有」であり、「無」ではないのではないか、という想像も掻き立てられます。


現在、宇宙の始まりと終わり、多次元空間の振る舞い、そして存在の根本的な性質など、まだ解明されていない科学的・哲学的な問いが多く存在します。多次元世界や量子論の可能性を含めても、「この世が永遠に有る」と断定することはできない、というのが現在の科学的コンセンサスです。しかし、もしこの世界が何らかの意味で永遠の存在であるならば、その永続性自体が、この世界全体に何らかの秩序が成り立ち、一見カオスに見える現象の中にも本質的な秩序が存在していることの証であると考えることもできるのではないでしょうか。この世界に存在する法則性や構造こそが、私たちに「秩序」を感じさせる根源なのかもしれません。