(1)日本のコンピュータ史

 戦前のヨーロッパや他の国で、航空機設計に必要な航空力学的計算などに計算機が使われた他、計算機以外に計算器具を使う女性が、生業として多く働き始めました。この計算手を英語でコンピュータと呼びました。

 第二大戦中にイギリスのMI5(秘密情報組織)がドイツの暗号を解析する為、大掛かりな機械式計算機(歯車式)が作られました。これが今日のコンピュータの先駆け言われています。

 日本でも戦前から機械式の計算機が使われていましたが、その後イギリスで真空管式コンピュータが使われ、パラメトロン式(フェライトコアを使ったも)、1950年代に開発されたトランジスタによるコンピュータが順次使われ、日本でも国を挙げて開発されました。


 1960年代に画期的な事が日本で起こりました。シャープが電卓を開発した事です。それまでの計算機は大きく重く、しかも価格が高かった為、集積回路を電卓用に新たに設計し、コンパクトで安い集積回路の開発を目指しました。設計は完了しましたが、数もなく売れるかどうか分からない物に国内外のICメーカーはどこも請け負うところがありませんでした(アメリカは軍との取引で利益を上げていました)。しかし、アメリカのロックウエル社と3百万個のLSIを3000万ドルで供給する契約を結んだ事で道は拓けました。LSIの設計回路はロックウエル社との共同特許でした。これを機にLSIの効率的な理論回路や集積化が安価で進み、今日のパソコンに繋がりました。

 メモリ技術も東芝には目をみはるものがあり、今日のICT時代に繋がっています。その後バブル時代にアメリカと自動車や半導体摩擦で徹底的にやられ、自動車は力を取り戻しましたが半導体はダメになってしまいました。

 もう一つ画期的な事がありました。九州にある三井ハイテックの操業者三井孝明氏が、今まで切り出しで行っていたICのレードフレームをアメリカ視察で部品を見て、打ち抜きなら安く早く作れると1966年にICリードフレーム打抜き用のタングステンカーバイド試作金型を開発し、その後世界を席巻しました。

 日本の役割は大きかったと言えます。