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哲学アーカイブ

●哲学の歴史2  2022.2.10

4.ヨーロッパ中世の哲学思想−キリスト教と哲学

(1)キリスト教教義の確立
@ヨーロッパ中世の哲学思想はキリスト教と深く結 びついている。A.C.1世紀のローマは、ヘレニズ ム化され、支配層は個人倫理学的なストア派哲学が行われていた。下層民衆や奴隷大衆は、ペルシャミトラ教、エジプトイシス教などの東方の秘儀宗教の影響下にあった。
A「異邦人の師と」と呼ばれたパウロによってこれらの人々に伝えられた。キリスト教が普及していった背景には、富者や権力者に対する憎悪以外にキリスト教が持つ高度の倫理性や教養ある人士を引き付ける理論性にあった。このことは「パウロ書簡」の中に認められ、ギリシャ哲学の影響が窺い知れる。
Bキリスト教が普及するにつれて雑多な要素が混入 していった。このため、教義の組織化が起こり、教会の正統的教義が確立されていった。教義の確立に尽くした人々を尊敬して「教父」、その哲学思想を「教父哲学」と呼んだ。

(2)初期の教父哲学
@初期の教父哲学は、ローマの官憲や異教徒の攻撃に対してキリストを弁護した為、護教家と呼ばれた。2世紀の代表的な護教家は、ユスティノス(100頃−165頃)で、キリスト教以前を含めて全ての真理はキリスト教的であり、キリストはロゴスであり、真理は皆ロゴスの啓示であると主張した。
Aグノーシス説は、東方の秘儀宗教とギリシャ哲学が結びついた超感覚的な神秘的直観であった。教父哲学の正統的教義は、グノーシス説との戦いを通じて確立された。
Bグノーシス説の代表的なものは、キリスト教グノーシス派ヴアレンティノス(135頃、アレクサンドリアからローマに来た)であり、過激にキリスト教をヘレニズム化しようとし、信仰の希薄化をもたらし異端視され排撃された。
C教父テルトゥアヌス(カルタゴ人160−222)が積極的にグノーシス派を排撃し、グノーシス派からギリシャ哲学を排し、知識で理解しえぬところに信仰がある「不合理なるがゆえにわれ信じる」の一句を残している。
Dアレクサンドリア教校の教父クレメンス(1世紀)とオリゲネス(185−254頃)は、ギリシャ哲学の知識を、聖書に依拠しながら、その解釈をアレゴリーの方法を用いて豊富に取りいれた。

つづく
●哲学の歴史1  2022.1.13

1.ギリシャ哲学
哲学にはヨーロッパ哲学、中国哲学、インド哲学、イスラム哲学がありますが、大きな影響を与えたヨーロッパ哲学を振り返ります。紀元前6世紀のギリシャでは、本土よりも植民地の規制が緩く、ここでは小アジア西海岸との貿易が盛んに行われ、異文化との接触により伝統的な習慣や観念に対して批判的な態度を取り、自由闊達な精神が生まれ、ここで初めて哲学が誕生するに至りました。  古代ギリシャで有名なソクラテスの功績が大きく、従来の自然的立場で人間の問題を解決出来ないのであれば、自然的立場こそ根本の欠陥であり、新しい考え方を求め、人間の人間たらしめる魂(現代で言う人間性)について徹底的に議論すると言う事を唱え、彼のこの思想が広く後世に影響を与えました。

2. ギリシャ哲学の衰微
国家のあり様を求めた全盛時代のギリシャ哲学は、コスモポリテート(世界市民)が衰微し、その原因は、そもそも奴隷制社会の哲学であり、統治者の少数の哲学であった事により、少数の有徳者の生きる道しか説き得なくなり衰退しました。

3. ローマ時代の哲学
ローマはギリシャを征服(B.C.146頃)したが、文化的にはギリシャ(ヘレニズム文化)に征服されが、個人の倫理の中に平静不乱を見出す事が困難となり、哲学にも宗教的色彩が強くなりました。反宗教的なギリシャ哲学が、最後の抵抗を示した哲学不毛の時代になり、この事が後にギリシャ哲学とキリスト教を媒介する事になりました。

つづく


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